前回の記事を簡単に振り返りましょう。

1989年、世界市場を席巻した日本はバブルを謳歌していました。

一方、アメリカ経済は、あらゆる産業で日本の後塵を拝し破局的な不況に陥っていたのです。

1992年、経済の立て直しを期待されたビル・クリントンが大統領選に勝利しました。そして、クリントン政権を実質的に仕切ることになるヒラリー・クリントンは、情報通信産業によりアメリカ経済の復興計画を立案していくのです。

1 IT産業の黎明
1.1 リストラが吹き荒れるハイテク企業
1.2 新興IT企業の勃興
1.3 Netscape Navigator開発
1.4 Netscape社による『ニューエコノミー』時代の到来
1.5 Windows95発売
2 ネットバブルの熱狂
2.1 怒濤の株式公開
2.2 億万長者の誕生
2.3 隣の株長者
2.4 『新時代』の到来
2.5 熱狂する投資家
2.6 『バフェットさん、わかった?』
2.7 『ウォーレン、どうした?』
3 『古強者』
3.1 バハマの『古強者』
3.2 繁栄を謳歌するニューヨーク
3.3 ジョン・テンプルトンのリスト
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IT産業の黎明
リストラが吹き荒れるハイテク企業
クリントン政権は、『情報スーパーハイウェイ構想』に莫大な予算を投じ、全米に光ファイバー網を構築しました。

しかし、94年になっても経済回復の糸口はつかめません。光ファイバー網を構築したAT&Tすら業績回復することなく、リストラの嵐が吹き荒れます。

当時のハイテク市場を支配していたIBMも赤字を計上し、94年4月にガースナーが新CEOに就任しました。

そのころ、まだMicrosoftという企業を知る人はほとんどありません。ビジネス誌の紹介ですら、『ワシントン州シアトルに本拠を置くソフトウェアを製造販売する』といった枕詞が必要な時代だったのです。

次第に、クリントン政権の経済復興政策へ疑問がもたれてくることになります。

強気相場は、悲観の中に生まれ、懐疑の中に育ち、楽観の中で成熟し、幸福感の中で消えていく。

ジョン・テンプルトン

しかし、アメリカ経済は『懐疑の中に育ち』つつあったのです。

新興IT企業の勃興
クリントン政権は、新興IT企業育成のために、シリコンバレーへの巨額投資も進めていました。そこから、飛翔するベンチャー企業誕生の兆しが現れだしたのです。

94年秋、新興パソコンメーカーであるコンパックIBMを抜いてトップに立ちました。パソコン市場で絶対的な地位を占めていたIBMの牙城が、新興企業により崩されたことは、小さなニュースとなりました。



Netscape Navigator開発
同じ年の94年冬、インターネット見本市で、ある画期的なソフトウェアが話題を呼ぶことになります。電子データに過ぎなかったインターネット情報が、画像として浮かび上がるというのです。今のInternet ExplorerSafariといった『インターネット閲覧ソフト』、つまりブラウザです。現在では、あたりまえのソフトウェアですが、当時は革命的なテクノロジーだったのです。

開発企業はNetscape社。その革命的なソフトウェアはNetscape Navigatorです。

見本市では、パソコン画面に遠くはなれたNASA(米航空宇宙局)の衛星写真が浮かび上がり、興奮した観客から、いっせいに喝采が挙がりました。

Netscape社による『ニューエコノミー』時代の到来
翌年95年の8月9日、伝説となるNetscape社の株式公開が行われました。公開提示価格は28ドルと極めて強気であったにもかかわらず、初日の高値が80ドルを超えることになります。

ハイテク専門のアナリストも驚愕し、メディアも株式市場の熱狂をセンセーショナルに書きたてました。

『ニューエコノミー』の時代が幕を開けることになったのです。

しかし、一般大衆にとっては、まだ遠い世界の出来事に過ぎません。

Windows95発売
同じ月である8月24日にも、時代を変える画期的なソフトウェアが発売されます。Windows95です。

発売時はお祭り騒ぎとなり、4日間で100万本が売れました。熱狂は、パソコン誌のみならず、一般メディアも巻き込んでいきます。

パソコンが一般家庭にも普及する時代に突入し、IT産業が一般人にとっても身近なものになっていきます。

『インターネット閲覧ソフト』そして『パソコン』。時代を象徴するテクノロジーが出揃い、IT産業の時代が幕を開けます。

94年までフォーブズで世界の富豪第一位は西武グルーブの堤義明会長が続いていました。しかし、95年、Windows95の成功により、Microsoftビル・ゲイツ会長がその座につくことなります。



ネットバブルの熱狂
怒濤の株式公開
翌年96年3月に創業12ヶ月のYahoo!が株式公開をします。13ドルであった公示価格は,初日に43ドルにまで跳ね上がります。

いままで1ドルの利益すらあげたことのないオンライン書籍販売会社の時価総額が数兆円になりました。

おもちゃのオンライン販売会社の時価総額も数千億円となりました。

怒濤の勢いでハイテク企業の株式公開が始まっていきます。

億万長者の誕生
億万長者が次々と誕生します。創業者のみならず、ストックオプションで自社株を保有していた従業員も一夜で億万長者となっていきます。

さらに、新規公開株を当てて大金を手にした投資家も出てきます。

メディアで、株式市場で目のくらむような金額を手にした投資家や起業家の特集が組まれるようになってきます。



隣の株長者
隣にも株長者が現れていきます。

職場の同僚が、カリブ海の最高級ホテルの長期バカンスに出かけていきました。
近所の家庭では、大衆車がポルシェにかわりました。
別の家庭では、近くの土地を買い、豪邸に改築しました。

聞くと、株式投資で一山当てたらしいということです。

隣の株長者が次々と誕生していくことに感化され、いままで株式投資に縁のなかった人たちも続々と株式投資に参入していくのです。

最初は恐る恐る取引を始めるものの、買った株はすぐに高騰します。下落しても、そのときに買い込めば、すぐに買値を超えて値上がりしていきます。

『新時代』の到来
インターネットによってニューエコノミーは、『新時代』をもたらすものとされました。

『テクノロジーの予言者』と異名をとる経済学者ジョージ・ギルダーのインタビューを引用してみましょう。

私はインターネットの評価がむちゃくちゃだとは思わない。巨大な投資機会に対する根本的な信念の表れだと考える。ほとんどすべての予測が向こう5年でインターネットのトラフィックが1000倍ほど に増大すると見ている。つまり現在のインターネット企業はこの2年間で潜在的なトラフィックの1000分の1しか取り扱っていないこ とになる。そのペースでいけば10年後には100万倍に拡大する。

ジョージ・ギルダー

ギルダーは、クリントン政権のブレインの一人でもあり、IT時代を正確に予見した学者として知られています。最近も、話題作を世に出しました。『Googleの消える日』です。

アナリストも、『もはや、情報社会という新しい時代に突入した。今回は違う。』と口々に叫びます。

そうして、インターネット市場は、今後も急拡大し、その成長は中断もなく一直線に拡大するものと考えられるようになっていくのです。

次第に、人々はリスクを忘れ大金を株式市場に投じていくことになっていきます。



熱狂する投資家
1999年、Microsoftの時価総額は6000億ドル(60兆円)を超え、史上最大を更新しました。

第二のMicrosoftを狙って、ハイテク株の新規公開株を狙う投資家が次々と押し寄せていきます。次第に、株式上場の基準も次第に緩んでいきます。社名にドットコムとつくだけで、大金が流入し、上場初日で2倍、3倍となることが日常となっていきます。

仕事を退職しデイトレーダーへと転身する投資家も続出していきます。当時、ハイテク株をトレードするだけで、大金を手にすることができました。

『バフェットさん、わかった?』
ウォール・ストリ ート・ジャーナル(WSJ)に元ソーシャルワーカーのデイトレーダーの記事が掲載されました。

ある日彼女は、運転中に、ラジオ放送で地元企業がロシアと大型契約したという話を聞きます。

今まで株に興味が無かったものの、ネット株の高騰に刺激され、調てみるとMCIワールドコムという企業でした。早速、インターネット証券口座を開設し、その株を買うのです。投資した1200ドルは、すぐに16000ドルにもなりました。気を良くした彼女は、その他にもYahoo株などのIT株を買い、軒並み値上がりします。

『二年で資金が倍になったわ。信じられないような話ね。すごいわ。ソーシャルワークの仕事ではとても不可能よ。』

株式投資により順調に資産が増えたことから、仕事は週末だけに減らし、一日中自宅でトレーディングをすることになります。

『毎日数銘柄を買って数銘柄を売ってるわ。目標は年間15万ドルの利益を達成することよ。そうすれば 退職後に夫とともに暮らしていく資金の蓄えができる。』

元ソーシャルワーカーの女性は順調に資産が増えていったことから、野暮ったいバリュー投資家への中傷を始めていきます。

『彼らは皆「買ったらずっと持っているのがいい」と言うわ。でも、株が下がり続けるようならどこかで手放したほうがいいはずよ。損の出た株は売ったほうがいい。株が上がるのは私が名人だからじゃない。そしてチャートを見て先が望めないようなら処分するわ。損切りは10%と決めてるの。』

そうして、最後に彼女は言い放ちます。

『バフェットさん、分かった?』



『ウォーレン、どうした?』
金融週刊紙バロンズも『ウォーレン、どうした?』 という特別記事を掲載し、バフェットをもはや過去の投資家と評価しました。

当時、慎重なバリュー投資家は、高騰するハイエク株を避けたことから、アンダーパフォームに陥っていました。

アナリストのみならず、デイトレーダーまでもが、バリュー投資家を嘲笑していきます。

メディアでは、ハイテク企業に集中投資し、大金を手にした『天才』個人投資家がもてはやされていきます。

至るとことろで、ハイテク株への投資が話題の中心となっていました。

タクシーの中でも、運転手と客との話題はIT株となります。デパートの売り子の控え室でも、小学校の教師の職員室でも、病院の待合室でも、高値を更新するハイテク株の話題でもちきりとなります。

パーティーやレセプションでも話題はハイテク株に集中しました。

1998年7月に2000ポイントであったNASDAQ指数は、1999年12月には4000ポイントを突破していました。

たった1年半で倍増したことになります。

ついに、伝統的なバリュー投資のファンドマネジャーからも、『降伏』が出現します。コカコーラやジョンソン・エンド・ジョンソンを売却し、ハイテク株のIntel株や、Microsoft株を中心としたポートフォリオを組み始めたのです。

強気相場は、悲観の中に生まれ、懐疑の中に育ち、楽観の中で成熟し、幸福感の中で消えていく。

ジョン・テンプルトン

まさに、株式市場は、『楽観の中で成熟』を遂げていたのです。



『古強者』
バハマの『古強者』
そのとき、あるひとりの『古強者』が、市場の狂乱を楽しげに眺めていました。

歴史は繰り返す。オランダのチューリップバブルでも、1920年代アメリカでの株式市場の熱狂でも、そして、今回のネット企業の高騰でも。

『古強者』は、遠くはなれたハバナ諸島から、いつの時代でも繰り広げられる騒乱を注意深く観察していたのです。

1999年のクリスマスシーズン、『古強者』は、機が熟し、新たな投資機会が到来したことを確信します。そうして、投資リストをニューヨークの事務所にFAXするのです。

繁栄を謳歌するニューヨーク
キリスト教国のアメリカ合衆国。クリスマスは祝日となり、ニューヨークの証券取引所も休場となりっていました。

空前の好景気のニューヨーク。街はイルミネーションに飾られ、シャネルやティファニーのブランドショップは来客でごった返しています。

高級レストランはどこも予約でいっぱいになり、ホテルの駐車場には、高級車がところ狭しとならんでいます。

行き交う人々は、未曾有の好景気に酔いしれていました。高級バッグを買った人は、来年こそは自動車を買うことに心を躍らせています。ポルシェを買った投資家は、来年こそ高級マンションを手に入れようと浮かれ、いつしか足取りも軽くなっていきます。

ジョン・テンプルトンのリスト
大投資家テンプルトンの姪ローレンは、休暇をとり両親のいる実家に戻っていました。くつろぐローレンのところに、父がやってきます。そうして、ジョン・テンプルトン叔父から投資リストがFAXで届いたことを告げるのです。

リストをみたローレンは眼を疑います。

そこには、新高値を更新しているNASDAQのハイテク企業がズラリ。『あの、慎重なテンプルトン叔父さんまでが…』

ローレンは息をのみました。そうして、再びリストを凝視しました。

ローレンの表情から思わず笑みこぼれました。題名にはこう書かれていたのです。

『空売りリスト』